受験を控えて日本史選択を視野に入れている高校生にとって日本史という科目はどんなイメージがあるでしょうか?
まず、
「日本史は覚えればいいだけ。ひたすら覚えよう」
というのが結構あるかと思います。
しかし、入試問題は、国公立大であれば論述問題、私大であれば正誤問題が多くを占め、単に用語を覚える勉強では太刀打ち出来ません。
そしてそのことは割と広くアナウンスがあります。
次に、
「日本史は流れが大事。流れを掴むために教科書を読もう」
というのがあると思います。
教科書というのは高校でも多分使用している市販のものです。
その代表例が山川出版社の『詳説日本史』だろうと思います。
そうすると、受験生の勉強としては、市販の教科書を読んで流れを捉え、一問一答などの問題集を解いてoutputにつとめるというものが多くなっていきます。
実際にそうした勉強をする受験生は多いです。
しかし、その勉強では残念ながら、余程頭が良くない限り合格レベルに達することはありません。
まず、教科書というものは言い回しが難く、受験生にとってリアルで柔軟な理解に繋がるツールではないのです。
(私ら教える側から見ると非常によく出来ているものではありますが。)
では教科書を読む勉強ではなぜ限界があるのか、具体的に説明していきたいと思います!
①ほとんどの受験生は「木(細部)」しか見ておらず、「木(細部)を見て森(全体)を見る」が出来ていない。
日本史を得意にして受験で合格レベルに達するためには、まず「木を見て森を見る」必要があります。
木とは細部、森とは全体です。
ミクロとマクロと言い換えてもよいでしょう。
長年、大学受験生を見てきて、大抵の受験生はこれが出来ておらず、木(細部)ばかりを一生懸命見ようとしてしまいますが、それでは駄目です。
ここで言う全体というのは、歴史の大きなうねりの中における根本的な全体と言い換えてもよいでしょう。
実際の大学入試の問題を見てみましょう。
問 江戸時代から明治時代の租税制度に関わる歴史について、正しいことを言っている語群を1つ選べ。
ア 幕藩体制下、各藩は四公六民ないし五公五民の年貢を幕府に納入した。
イ 戊辰戦争の勝利によって明治政府は全国を直轄領とした。
ウ 岩倉使節団派遣中の留守政府は廃藩置県を断行した。
エ 地租改正条例の公布によって、農民負担はかえって増加した。
教科書を読む勉強をしたという場合、大体以下のような解答プロセスが多くなるのではないかと思います。
ア 江戸時代は四公六民や五公五民なので「正」!
イ 幕府軍に勝利した戊辰戦争で明治政府は全国を支配下に治めたので「正」!
ウ 岩倉使節団派遣中の留守政府で色々改革が行われたが、それに廃藩置県も入っただろうか…。
エ 地租改正、地租は3%だ。農民負担は増えたか減ったか、どうだったか…。
ウとエが判断付かず、アとイが正しそうなので、1/2の確立に賭けてアないしイのいずれかを正解とする。
しかし、正解はアでもイでもありません。エです!
まだ本格的な受験勉強を始める前の段階の高校生でも、明治の世になって文明開化の風潮となり、江戸時代の陋習(ろうしゅう =古い慣習)を打ち破ることにつとめていったということは大体分かってるだろうと思います。
そして、新しい明治政府は天皇を中心とした国家であったことも習ったと思います。
では、「どうして江戸幕府は倒されて新しい明治の世にしなくてはならなかったのでしょう?」と問われて回答出来るでしょうか?
答えられる人は、大体以下に近い形で答えられるのではないかと思います。
「欧米諸国が日本にやって来て、日本は鎖国をやめさせられたが、江戸幕府の古い仕組みでは欧米諸国に立ち向かうことが出来なかったから。」
…では、その回答を踏まえて次に問います。
「江戸幕府の仕組みが古かったのであれば、江戸幕府の仕組みを新しいものに変えればよかったのではないですか?なぜそうしなかったのですか?」
意地悪をしているつもりはないのですが、このような質問になるのも、教科書を読んでいる勉強だと江戸時代の支配体制について恐らく正確に理解出来ないからです。
江戸時代の日本列島はどういう状態?
江戸時代という時代は「江戸幕府の時代」であることは間違ってはいませんが、正しくは「幕藩体制の時代」です。
江戸時代の日本列島には、江戸幕府を中心に全国に最大時で300以上の藩があって、これらは全て幕府と並ぶ独立国家のようなものです。
つまり、全国2500万石の中に、江戸幕府の支配領域が江戸を中心に440万石あってそのいわば国王が徳川将軍です。
それとは別に全国300以上の藩には藩主(大名)という国王がいます。
日本列島の中にいる国王は1人ではなくて300人以上という状態と言えるのが幕藩体制です。
つまり、江戸時代の日本列島は今と違ってバラバラの状態です。
神奈川県や埼玉県などが全て独立国としてあって、その最大のものが東京都といったふうに言い換えてもよいかもしれません。
江戸時代の武士や庶民にとって「国」と言ったら、日本を指すのではなく、自分の属している藩のことで、日本国という概念がないのが江戸時代です。
江戸幕府 = 独立国(日本列島の中の幕府領のみを支配)
藩 × 約300 = 同じように独立国(各藩領を支配)
この時に、江戸幕府(つまり徳川将軍)は全国の藩から年貢という税を徴収することは出来ません。
幕府が徴収出来る年貢米は全国2500万石のうちの440万石の幕府領(それと300万石ある幕臣の領地)からだけです。
約300の藩の領地の年貢は各藩の大名に徴収する権利があり、これが江戸幕府に納められることはありません。
つまり、江戸幕府は全国的な徴税権を持たない政治権力です。
同じように、徳川将軍は全国の藩に属している武士(藩士)を軍事動員する権利は持ちません。
将軍に軍事動員権があるのは幕府に属している武士(幕臣)だけです。
つまり、江戸幕府は全国的な徴兵権も持たない政権です。
幕府と藩(つまり将軍と諸大名)は互いに独立していた上で、諸大名は徳川将軍に仕え、参勤交代で江戸にやって来たりする存在です。
江戸幕府= 独立国として徴税・徴兵権を持つ(幕府領のみから)
藩 × 約300 = 同じように独立国として徴税・徴兵権を持つ(各藩領から)
したがって
ア 幕藩体制下、各藩は四公六民ないし五公五民の年貢を幕府に納入した。
は「誤」です。
幕府は幕府領内で百姓から4割ないし5割の年貢を徴収します。
これを四公六民や五公五民と言ってます。
一方、各藩も自藩の領内で百姓から一定の率で年貢徴収していきます。
この時に、江戸幕府は藩から年貢徴収は出来ず、藩が幕府に年貢を納めるということはありません。
どうでしょうか?
これまでの勉強で江戸時代に幕府と藩があったことは分かっていても、こういったことを可視化して捉えられていたでしょうか。
教科書を自分で読む勉強では最後までこういったイメージを持つことが出来ません。
山川出版社の『詳説日本史』には幕藩体制についてこう記述されています。
強力な領主権をもつ将軍と大名(幕府と藩)が、土地と人民を統治する支配体制を幕藩体制という。
領主権というのは「税や兵を取る権利」のことを言うのですが、自分で教科書を読み進めても「領主権とは何だろう?」とはまずなりません。
したがって、幕府と藩がそれぞれ税・兵を取る権利があったことがリアルに捉えられません。
これがもし、
独立国家の領主のような将軍と大名(幕府と藩)が、それぞれの土地と人民を統治する支配体制を幕藩体制といい、将軍の徴税・徴兵権は藩には及ばず、幕府領のみであった。したがって、江戸幕府は全国的な徴税・徴兵権を持たない政治権力であった。
といった感じで書かれてあれば少しは分かるものの、教科書というのは限られた字数の中で記述され、上のような難い表現になってしまいます。
教科書を読む勉強は間違いではありませんが、こうした理解をした後に読んで確認していくべきものです。
最初からこの記述で受験生に本質を理解しろと言っても無理があるということお分かりいただけたでしょうか?
だからこそ、塾や予備校の講義が受験生にとって必要となります。
言い方を変えれば、教科書の記述は冷凍食品のようなものです。
受験生はこれを自分で解凍し調理することが出来ません。
違和感を持ちながら食べるか、多くの場合違和感にすら気付かずに食べ、じわじわ腹痛に至っていきます。
塾・予備校の先生がこれを解凍し、受験生の口に合うように味付けしてくれるので、受験生にはじっくり咀嚼してもらいます。
明治維新の意味とは
イについて見ていきましょう。
このように江戸時代の日本列島はバラバラの「地方分権時代」です。
この状態で19世紀になるとイギリスやアメリカなど外国の強国(列強)が軍艦でやって来ます。
対応を間違えると戦争になるという事態の中、諸藩の大名や武士らにとって一番大事なことは、自分の藩のために尽くすことで自分たちの生命と財産を守ることです。
日本のために戦い、日本を守るという意識がありません。
江戸幕府にこれを統合する力はなく、全国から税・兵を集めることも出来ません。
外国と戦争になったらどうなるんだ!となった中で、天皇中心に日本民族で一つの日本国家を作ってまとまって、その天皇中心の政府に全国的徴税権と徴兵権を集め、日本国のために戦う日本国民を作っていくべきではないかとなっていきます。その必要性から起こるのが明治維新です。
そのために必要なことは、江戸幕府を解体する、ないし退場してもらうことと合わせて、全国300余藩を新政府の直轄領として、新政府が税と兵を徴収出来るようにすることです。
1867(慶応3)年、大政奉還によって江戸幕府が朝廷に返還されたことを受けて、1871(明治4)年、明治新政府が廃藩置県によって全国の藩を直轄化してそれを完成させます。
藩を廃して県を置いた。
県は「明治政府の直轄領」を表し、これによって新政府が全国的な徴税権・徴兵権を握ります。
なので、1868(明治元)~69(明治2)年に行われた戊辰戦争で明治新政府が旧幕藩軍に勝利して全国を直轄領としたかのようなイメージがありますが、戊辰戦争が終わった1869(明治2)年の段階でまだ藩は残っており、これを実際に直轄化するのは1871(明治4)年の廃藩置県によってとなります。
江戸幕府 → 大政奉還(1867年)で朝廷に返還
→ 戊辰戦争(1868~69年、新政府vs旧幕府勢力の戦い)
藩 × 約300 → 廃藩置県(1871年)により県となって新政府直轄領となる
(明治政府が全国の徴税・徴兵権を掌握)
したがって
イ 戊辰戦争の勝利によって明治政府は全国を直轄領とした。
は「誤」です。
このように、教科書を読む勉強だと、かみ砕いた説明がないため、言葉の表層を捉えていくのみの勉強に終始し、その結果、何となく「雰囲気によって正しそうな選択肢を正解と判断してしまう」ことが多くなってしまいます。
岩倉使節団の派遣
ウについて見ていきましょう。
この全国的徴税・徴兵権が確立したことを踏まえて、新政府は税制改革と兵制改革に着手していきます。
地租改正が税制改革で徴兵令が兵制改革です。
どちらも1873(明治6年)年に実施します。
それともう1つ持っておかないといけない視点が、明治政府は幕末に江戸幕府が諸外国との間に調印した不平等条約の改正を視野に入れていることです。
廃藩置県で全国統一を完成させたら、岩倉具視ら政府首脳がこの年(1871年)のうちにその予備交渉のために米欧諸国に出かけます。
これが有名な岩倉遣外使節団です。
1873年に帰国するまでの政府は「留守政府」と呼ばれます。
その首脳が西郷隆盛です。
この西郷留守政府で地租改正と徴兵令は公布されます。
廃藩置県(1871年)で全国の徴税・徴兵権を掌握
→ 岩倉使節団派遣(1871~73年)
→ 留守政府による地租改正(税の改革)・徴兵令(兵の改革)
したがって
ウ 岩倉使節団派遣中の留守政府は廃藩置県を断行した。
は「誤」です。
エ 地租改正条例の公布によって、農民負担はかえって増加した。
が「正」で正解となります。
地租改正によって明治政府は近代的税制を確立させますが、「旧来の歳入を減ぜざる方針」で進められ、負担はかえって増えたため、農民たちが地租改正反対一揆を起こしていきます。
まとめると、
こういった捉え方をすることが森(全体)を捉えるということです。
その上で、廃藩置県や地租改正などの詳細としての木(細部)を捉えていく必要があります。

市販の問題集にベターなものはあってもベストとは言えない。
以上、木を見て森を見ることの重要性を踏まえて、合格のためにはそれを捉えるためのベストの教材が必要で、市販の教材ではそれは十分でない、また、受験生はこれを捉えるための教材選定が十分にいかないことが非常に多いということについて、当日本史講座での教材を紹介しながらお話ししていきたいと思います。
当講座ではまず、政権担当者の並びを捉えてもらいます。
その上で、「政権担当者誰の時に何があった」を次のような手順で捉えてもらいます。
江戸時代から明治時代に変わる間の政権担当者を
徳川慶喜(江戸時代最後の将軍)
岩倉具視(岩倉遣外使節団派遣までの政府首脳)
西郷隆盛(岩倉遣外使節団派遣中の留守政府首脳)
こう順番に捉えたら、その政権交代の契機となる事項を捉えます。(以下【】付きで表記)
徳川慶喜 【大政奉還(1867年)】
岩倉具視 【岩倉遣外使節団派遣(1871年)】
西郷隆盛 【岩倉遣外使節団帰国(1873年)】
これを以下のようなプリントを配るので何も見ず埋めてもらうことから始めてもらいます。

受講生にはこのように埋めてもらいます。

以上を何も見ずに全て空欄を埋められるまで繰り返してもらいます。
これを最初にやってもらうことで、膨大な知識を入れていく上での整理棚としてもらう目的です。
当講座の指導では、
まず中心となる全体像を捉えてから、細部に入っていく手順を踏んでもらっています。
これら中心事項を軸に周辺・細部を捉えていくことによって、自分の頭の中のフォルダをきっちりしたものとし、結果として入試問題を解いた時に、ふさわしいフォルダ内から解答を引っ張り出すことが出来るようになっていきます。
一問一答的な勉強はもちろん、教科書を読む勉強ではそれが出来ません。
当講座では、中心事項を含めた周辺・細部についてはオリジナルテキストを用いて講義していきます。
そして、講義の後には以下のリストを配布して、全体像・細部について「ここをこのように捉えたか」の確認をしてもらい、チェックを付けてもらいます。

さらにオリジナル演習教材(全範囲、用語問題と正誤問題)に取り組んでもらいます。

当講座では教材は全てオリジナルのものを提示していきます。
このように教材の編集を進めてきたのも、この仕事を始めてすぐに、
市販の教材では出版事情により限定的な情報提示しか出来ず、ベターなものはあってもベストのものはない
と気付いたからです。
最難関校に確実に合格に持っていくための演習という観点からは、市販のものでは欠点も目立ったため、過去の入試問題より明らかになった、基礎8~9割の部分がどう出題されるのかとうことを踏まえ、数年かけて作成したベストの演習教材を提示して行きます。
合格に向けた最短距離での日本史の勉強を!
もう一つ言いたいこととして、受験生は選択科目に多くの時間を割いてはいけないということがあります。
受験に必要となる科目の一週間の中での勉強時間比について、受講生にはいつも大体以下を目安にするよう説いています。(あくまでも目安であり、個々によっても、時期によっても違ってきますが。)
[国立文系] 英語:数学:国語:社会=4:3:2:1(ないし4:3:1:2)
[私立文系] 英語:国語:社会 =5:3:2 (ないし5:2:3)
この比率の中で、原始時代~現代を、通史と文化史含めて完成させるには、余計な勉強をしている時間はありません。最短距離での勉強をするのに塾・予備校での講義が合格への大きな手助けになること間違いありません。
当講座では、<この教材はこうやる、この教材はこうやる>というのを敢えて1つ1つ詳細に提示していきます。
…と言うと、受講生に選択肢を与えないかのように聞こえるかもしれませんが、最短距離での合格のためには1つ1つのやり方を提示するのがこちらの仕事と考えており、授業だけやって、「あとは君たちでこれを活かしなさい」といった指導はしません。
(勉強が軌道に乗っていけば、その時の自分にとって必要・必要でない勉強の取捨選択も出来るようになっていくはずです。)
それだけ数年かけて確立させた合理的なレールと自信を持って提示していきます。
過去の受講生たちは、このレールで初めて日本史を勉強する人でも一様に合格レベルに到達してもらっています。
先輩たちからは、「自分1人で勉強していたらこんな体系的な勉強はまず出来なかった。自分は今頃どうなっていたか…」といった声をいただいています。
もちろんやるのは君自身ですが、合格に向けては全面的にサポートしていくことお約束します!

最後に、日本史を勉強していくことは、自分の内面を掘り下げ豊かにしていくことに繋がります!
それだけ日本史という科目は面白くて意義深いものです!
そのことを実感してもらえる授業でお待ちしていますので、ぜひ、一度体験授業にお越しください!